薬剤師さんにセルフネグレクトを気遣われた話(zgkzw)

 精神科に何年も通っているが、しばしば通院が億劫になって診察日を先送りにしてしまう。通院のサイクルが乱れると毎日飲まなければいけない薬を切らし、離脱症状で体調を崩す。不眠、めまい、筋肉痛、息苦しさ、倦怠感などの症状が出て、ようやく観念して病院に足を運ぶ。そんなことを何度も繰り返している。

 私は「いつもの薬のいつもの離脱症状」も何度も経験して慣れており、「多少しんどいけれど死ぬわけではない」と高をくくっているので、なんとかしようという内発性がいまいち足りない。ある種のセルフネグレクトの状態にある。

 主治医の先生も先生で、私の不定期通院に慣れきっている。急性期の重い症状で手厚いケアを要する患者さんも数多くいる中で、慢性不調の状態で安定(?)している私の優先度はどうしても低くなる。先生は明らかに私が処方通りに薬を飲んでいないことを知っているのだが、限られた診察時間の中では介入も難しいのか、とうに予約日を過ぎて忘れたころに診察室に現れる私を特に咎めることもなく、毎度「おっ、久しぶり、元気?」などとカジュアルに迎える。

 この距離感は心地よくもあるのだが、一向に先生が私を叱らないことに対して、私は(こちらから迷惑をかけておきながら大変図々しいことに)自分の治療の経過が気にかけられていないような物足りなさも感じていた。

 ところが、一週間ほど前、いつものように数か月ぶりの通院を終えて薬局に行ったところ、馴染みの薬剤師さんに気遣われてしまった。「今回もかなり期間が空いてしまっていますが体調は大丈夫ですか?」ということだった。心配そうな表情と声音に驚いて、申し訳なく感じた。

 臨床の場での自傷行為への対応として、業務的に処置をするのではなく、過剰なほど丁寧に手当てするとよい、という記述を見かけたことがあるが(中井久夫山口直彦『看護のための精神医学 第二版』, 医学書院, 2001, p.211)、その意味がわかった気がした。

 自分の体調について「死ななければよい」と思ってしまうのは現在の私の仕方のない性だが、他人に心配されると事情が変わる。自分の身体は気遣われるに値するものなのだと思うと、大事にしなければと思える。

 いま、私の中には、私の服薬状況に気を配ってくれる小さい薬剤師さんがいる。次の通院日はきちんと守ろうと決めている。

 

文責:zgkzw