大学は学生の行動にどこまで立ち入れるか(浮草)

 日本においても、COVID-19が脅威となって二年が経つ。感染は拡大と縮小を繰り返しながら、今日まで至っている。2020年の春に入学した学生は、もうすでに在学期間の半分を、この不安定な状況下で過ごしていることになる。この状況が急激に好転する見込みは薄く、おそらく来年度以降も同様であろう。大学では、オンラインによる講義が導入され、学内施設の利用やサークル活動は制限された。今でも、当初に比べて多少緩和されているとはいえ、大学の現状は通常と程遠い。2021年末の束の間の収束を見るに、もはや、通常と非常が転回しているかのような感覚に陥る。

 大学の管理は、大学内に留まらない。全国の数々の大学で、学生の移動をはじめとする行動に対する規制が行われている。学生の移動に対する規制の概要としては、次の通りである。

 「緊急事態宣言発令地域やそれに準じるような都道府県への移動を禁止する。やむを得ず移動する場合は届け出を行い、許可を得なくてはならない。」

 たしかに、学内での感染拡大を抑え、早期に「通常」の形態に復帰するため、ひいては学内外を問わず、社会が直面する危機への責務を果たすために、公共性の高い教育機関であり、研究機関である大学が、教職員や学生に対して上記のような管理を行うことは、その是非はともかく、理屈としては理解に難くない。日本におけるCOVID-19の初期の、感染を広げた学生に関する報道と、それに対する世論の厳しいバッシングも、今日の大学の方針に影響を与えているだろう。

 しかし、大学は、それほどまで、学生の行動に踏み込むことが許されているのだろうか。他の都道府県への移動をしないよう、要請をすることはできても、移動を禁止することが許されているのだろうか。「禁止」とは、しないことの強制であり、したがって極めて重い言葉である。このような言葉を用いる際、その正当性については慎重に検討されなければならない。当然、慎重な検討の上での決定であると信じたいが、少なくとも、多くの場合で、十分な説明がなされているとは言い難い。たとえば、学内での感染拡大を防ぐためであるとすれば、なぜ、他の都道府県へ移動した者の一定期間の登校禁止ではなく、移動自体を禁ずる必要があるのか。オンライン化が進んだ今日の体制であれば、登校せずとも受講することは容易であろう。実際に、他の都道府県へ移動を「避ける」ようにとし、移動した場合は、PCR検査や一定期間の健康観察をするようにとしている大学も存在する。大学が、運営のために学生に指示できる範囲は、この程度ではないだろうか。そうではなくて、他の都道府県への移動それ自体が駄目であるというのであれば、その根拠は何か。そこには、先述の、社会への責務云々という理屈しか残っていないのではないか。したがって、大学に公共性があるがゆえに、社会では禁止されていない他の都道府県への移動が、学生は禁止されても良いか否かという論点に行き着く。

 現状が常態化して久しいが、今一度、この是非について、よく考え、問いかけていきたい。

 

文責:浮草