受験の季節(浮草)

 今年も受験の季節が巡ってきた。受験には何かと苦い思い出も多かったが、それでも受験を終えた後でさえ、この季節になるとそわそわと血が騒ぐのである。それは決して恐怖や不安を思い出したからではなく、むしろ楽しかったとさえ思うゆえである。

 受験が楽しかったなんて、相当に成績が良かったのかと思われそうだが、実際、そのようなことは全くなく、第一志望校に合格したのは中学受験を最後に一度たりともない。大学受験は一年間、浪人をした末、第一志望校は不合格であり、全く行く気のなかった大学に不本意な入学をした。諦めきれずに、仮面浪人をするがまたもや不合格である。しかも、二年連続で合格まであと一人といった結果であった。このような苦い思い出の詰まった大学受験だが、それでもこの季節を辛いものでなく、楽しいものとして思い出す。もちろん、それは、仮面浪人を失敗した後、別の方法で何とか合格を勝ち取った現在があるから言えることかもしれない。しかし、楽しいというこの気持ちは、実際に受験をしていた当時からある、偽りのない感情である。

 一体、何が楽しいと言うのか。当然、それは受験勉強ではなかった。受験勉強が楽しければ、これほどまで不合格を積み上げてはいないだろう。おそらく、最も楽しかったことは、受験校を選び、出願することであったのだと思う。

 さて、手元にはセンター試験の自己採点の結果がある。普段よりも取れたもの、取れなかったもの、結果は様々であるが、もはやこれらはいかんともしがたい。その結果を大手予備校の合否判定システムに照らして、受験校を検討するのだが、これが楽しいのである。各教科の点数という手持ちのカードを使って、どこであればより有利に戦えるかと考える。もちろん、どこでも良いわけではないから、自身の関心や所在地なども同時に検討する。センター試験の受験前、特に受験勉強を始めるという春先にいくら行きたい大学を考えても、現実味が薄く、成績が届かないことなど往々にしてある。したがって、自身の進路について最も具体的に考えられる機会が、受験校を選び、出願するときであった。

 不謹慎ではあるが、受験校選びのある種のゲーム性と、憧れの大学生活がいよいよもって現実的に見えてくる感覚が、楽しかったのだろう。もっとも、結果的には僅差で落ちて、あのとき見えた未来は訪れなかったのだが。

 

文責:浮草