長縄が跳べない子どもたちのインターネット

・小学校にはあまりいい思い出がない。細かい生活指導と、「クラスの仲間と力を合わせて!!!」「絆!!!」という同調圧力が、私には合わなかった。給食、家庭訪問、帰りの会、そして長縄大会。私の母校では、3分間で縄を跳ぶ合計回数をクラスごとに競っており、前の人に連続して縄に入れない者は冷遇された。居残りでの特訓指導もあった。

・数年前に小学生と話していて、「長縄大会の練習が憂鬱だ」という愚痴を聞き、ついうれしくなってしまった。小学校の長縄の記憶には普遍性があるのだ。時代や地域は違っても、一定の割合で確実に、長縄がうまく跳べずに冷遇されている子どもが存在する。なんと心強いことか。

・というわけで、小学生の私の孤独は10年越しに救済されたのだが、もっと早期の救済の可能性を考えたい。いまの子どもたちに、「長縄が跳べないことはそんなに特別にみじめなことではない」と教えてくれる存在はないか。

・……インターネットだ。

・先生や学級の価値観を相対化する余地を、小学生があまり公然と持ってしまうとまずい、学級の統制がきかなくなってしまう。実際、各地の長縄が跳べない子どもたちが連帯して反乱軍を作るのを想像すると、あまりハッピーなビジョンが見えない。

・しかし、ちょっとアングラなインターネットならどうか。たとえば、いまの小学生はスマホYoutubeを見ている、そしてYoutubeでは「学校あるある」ネタがウケている。ここ数年のインターネットはアングラ感が希薄だが、それでも小学校の教室において、特定のYoutuberのファンは十分に少数派だろう。

・子どもたちは放課後、ひっそりとインターネットに逃れ込む。みずからの学校生活の戯画に笑い、孤独な心を励まされ、またコメント欄に同志の存在を見出す。それはもしかすると、明日の登校の支えになるかもしれない。

 

・学校あるあるをやっている「ほーみーず」というYoutuberがすごいと思います。

 

文責: zgkzw